カテゴリーを考える

今日のメモ。

カテゴリーを考えることが大切だと思う。

「カテゴリーを考える」とは、どのカテゴリーに入るかを考えることではない。
新しいカテゴリーをつくりだすことだ。

上野公園の地図看板

既成のカテゴリーに属しているものでも、それはそのカテゴリーの中の小カテゴリーの集合体であったりする。
だから、新しい小カテゴリーを考えることができる。

あるカテゴリーの中にすっぽりと収まってしまうのは、苦痛以外の何ものでもない。
反対に、カテゴリーを考えるのは、単純に楽しい。

むろんこれは、人によるのだろうけど。

追記:
人を個ではなく、カテゴリーでしか理解しようとしない人がいる。
というか、カテゴリーでしか理解できない、というか。
自分が持っているカテゴリーのどれかに、とりあえずはめこまないと安心できない、というか。
判断を保留しておく面白さを知らない、というか。
たぶん、臆病なんだろう。
自分も臆病なので、他人のことは言えないが、正直、極端にカテゴリー依存症の人は、ちょっとうざい。
(よく考えたら、「臆病なんだろう」もカテゴリー化だった。
ただ「臆病なんだろう」と言われたら、言われた方は、おそらく「うざい」に違いない、と思ったり)。

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