新宿クリスピークリーム

新宿のKrispyKremeには今日も行列ができていた。 写真ではわからないが、右手の橋の上にもずらっと人が並んでいる。 これから暑くなると大変かも。 近所の宮崎館もあいかわらず人がいっぱいだった。

ある人が亡くなったとき

そう言えば、以前、ある人が亡くなったとき、その人は生前、自分はKCIAにマークされている、と言っていたと聞いた。 一度も面識がなかったし、亡くなったそのときに聞いただけだが、部屋にはfromAが開かれていたそうだ。 文学の教室に通っている人だったから、けっこう普通の人とは違った生活を送っていたのかもしれない。 それにしても、KCIAって・・・。 一番不気味だったのは、彼が亡くなったという話を聞いて、笑っていたやつがいたことだ。 誰だったかその人物は「あいつを絶対許さない」と言ってこっそり笑っていた。 亡くなった人の友達には悟られないように笑っていた。 「40過ぎてfromAだって」とか言って笑っていた。 どうやら、その人物は、文学の教室か飲み会に飛び入りみたく参加して、亡くなったその人にやりこめられたらしい。 人が亡くなったときに、あんなにうれしそうに笑った人物を他に知らない。 世の中には、いろんな人物がいる。 マイナスの感情に支配されて、死を笑う人も。 こんな人物には、かかわらないにこしたことはない。 なぜなら、かわいそう過ぎるからだ。 とりあえず記録しておく。

ネットカフェでソフトクリームを

よく利用する某ネットカフェではソフトクリームが食べ放題だ。 無類のソフトクリーム好きなので、こんなにありがたいことはない。 (ただし、今ダイエット中なので、ちょっと困っている)。 ネットカフェの利用料は1時間400円弱。 これでソフトクリーム食べ放題、コーヒー・ジュース飲み放題、漫画読み放題、写真集見放題、インターネットし放題、ゲームし放題、DVD見放題・・・と、とにかくすごい。 普通にソフトクリーム屋さんでソフトクリームを食べたら、200円はするから、もとがとれておつりがくる。 場合によっては、シャワーやマッサージ椅子が備わっていて、12時間パックだとか24時間パック、なかには72時間パックなどがあり、十分に宿泊もできる。 というか、長時間パックはどう見ても宿泊者向けだろう。 「ネットカフェ難民」とか言って、格差社会の象徴のようにとらえている人々もいるようだが、はたしてそうだろうか? 「難民」にしては、いたれりつくせりで余りに贅沢なのだ。 実際は、ネットカフェという新しいビジネスモデルが既存のビジネスモデルを豪快に侵食しているだけのように見える。 無料のサービスを気前よく提供するという点が、Googleにちょっと似ている。 「難民」などという政治的意図に汚染されて的をはずした言葉を真に受けていると、いつのまにか自分の業界がすっぽり飲み込まれてました、ということにもなりかねない。 などと思ったり。 某ネットカフェにて。

「ウェブ動画がビジネスになる日は遠い」

CNET Japanによれば、 ひろゆき氏、「ウェブ動画がビジネスになる日は遠い」 ということだそうだ。 理由は回線コストが高いから。 YouTubeは、以前1ヶ月1億円の回線コストがかかっていると聞いたことがあったが、上記の記事には「数億円」とあった。 さらに規模が大きくなったのだろう。 確かに、Web2.0的な動画共有サービスはたいへんかもしれない。 しかし、Web2.0でなければ、何とかなるんじゃないかという気もしないでもない。 少なくとも、個人で動画を流すだけなら、YouTubeやMovieCasterを使ってしまえばいいのだから、まったく問題ない。 その延長線上に、何かがあるのではないか。 いずれにせよ、回線利用料が劇的に下がることを期待したい。 追記: 明日から、というか、もう12時を回っているので、今日から東京。

ある空想物語

今日のメモ。 「村上被告に懲役3年求刑」、というニュースを受けて、つらつらと思った。 2004年の秋の段階で、ライブドア程度の会社がニッポン放送を買収したい、と言ったとしたら、たいていの人は「この会社何をバカなことを言ってるんだ。ちょっと頭がおかしいんじゃないか」と感じるのではないだろうか。 その後実際にやってしまったから「やれた」という事実を皆知っているわけだが、過去に戻って実際にやれたという事実を知らなかったら、ニッポン放送買収の話なんて空想物語以上の何ものでもないように思う。 空想物語以上の何ものでもないことを実際にやってしまったことに対する腹立たしさというか、ねたみというか、嫉妬というか、何かそういう黒い感情が、一部の人の意識下には澱んでいるような気がしてならない。 とりわけ、自分は能力が高いと思っているみなさん。 問題なのは、この空想物語は、何も買収とかのべたな案件に限らない、ということだ。 色んなジャンルで、他人が空想物語だと感じることはある。 それを誰かが実際にやってしまったら、やはり一部の人の意識下には、黒い感情がほぼ自動的に芽生えてしまうだろう。 たぶん、単純な化学反応のように。 化学反応のようなものだから、本人にはコントロールできないわけだ。 困ったものである。 これにどう対処すればいいかと言うと、空想物語を実際にやってしまうときは、できるだけ目立たないようにやる、ということだろうか。 ちょっと消極的すぎる結論ではあるが。 以上、個人的なメモ。

聖なるものと俗なるもの

今日のメモ。 頭のいい人たちは「聖なるもの」と「俗なるもの」を区別するのがとても好きだ。 個人的には、「聖なるもの」は「俗なるもの」の中にある、と思う。

12号館ラウンジ

先日、卒業証明書を取りに大学に行ったとき、ついでに本部の方にも寄ってみた。 自分が所属していたサークルのたまり場が、12号館(商学部)にあったからだ。 当時、12号館(商学部)の1階はラウンジになっていて、自動販売機やソファーが置いてあって、いろいろなサークルがテーブルを勝手に占拠していた。 サークルに所属していない商学部の学生にとっては、迷惑な話だったと思う。 そのラウンジは、今どうなっているのだろうとちょっとワクワクしながら行ったわけだが、なんと取り壊されていて、すでに存在していなかった。 どうやら新校舎を建設するようだ。 そういえば、当時は携帯電話などなく、そんなものがいずれ登場するだろうという予想すら個人的にはまったくしていなかった時代で、外にいるときの連絡方法はといえば、もっぱら公衆電話だった。 12号館にはピンクの公衆電話があった。 その電話が鳴ると、たいていは近くのバスケットボールサークルのきれいな女の子が取り次いでくれた。 その女の子がどれだけきれいだったかといえば、彼女に取り付いでもらうために、用もないのにわざわざ電話をかけさせるヤツもいたほどだ。 ねたみや嫉妬に対する管理技術の必要性を、まったく認識していなかったころの思い出である。 追記: ついでながらサークルの部室は「3地下」にあったことを思い出した。 「3地下」はへんなというかマニアックなサークルがいろいろあって、ほんとうに大学らしい場所だった。 雑然と、いろんなヤツがいる、という意味で。 いろんなヤツがいる、ということが、たぶん文化なのだと思う。

「驚きを隠せない」には驚きを隠せない

うちでとっている新聞で、 「特待制度」驚きの実態!400校1万人アウトか(スポーツ報知) に関する記事を読んだら、 「有力選手獲得になりふり構わぬ私立校が全国どこにでも存在していたことにも驚きを隠せない」 と書いてあった。 正直、この「驚きを隠せない」には驚きを隠せない。 上記の事実の内容は、当事者ではなくても、普通に中学高校生活を送れば、あるいは自分の子どもが普通に中学高校生活を送っていれば、だれでも自然に伝聞することだ。 どう控えめにみても常識だと思うのだが。 この問題の本質は、業界の慣習で、今まではなあなあで通用していたことが、突然通用しなくなった、ということだろう。 ライブドア事件の後、どこかのブログで、「日本という国はそれまで通用していた基準が、ある日突然通用しなくなる国だ」という分析を読んだことがある。 鋭いなーと感心した記憶があるが、その後起こったタウンミーティングの動員問題などは、そのいい例だろう。 ある新聞記者の個人ブログで、「昔からそうだったし、新聞記者は皆知っていた」と書いてあったように思う。 以前報道ステーションを見ていたら、「法律を守ればそれでいいのか」という、一見意味が深いようでまったく意味のないお得意の発言を古舘さんがしていたが、世の中には、そもそもきまりや規約を守らない人が案外いるわけだ。 「ルールを守ればそれでいいのか」と嘆息する前に、まずルールを逸脱しないことが大切だろう。 日本という社会では、それだけで大したことである。 テレビの捏造事件や捏造疑惑などを顧みても、これは自明のことである。 この「『業界標準的ルール逸脱行為』が突然通用しなくなる症候群」が次に襲うのはどの分野だろう。 業界の慣習に従って(あるいは、これまではそれでよかったからといって)、ルール逸脱行為をしてきた人たちは、注意が必要だ。 いずれ、番がやってくるだろうから。 しかも、ある日、突然に。

フォロー

Get every new post delivered to your Inbox.