「ミシュランガイド東京2008」、初版12万部は3日でほぼ完売(日経トレンディネット) ということらしい。 「初版12万部」・・・。 以前は本の発行部数に関しては、平気で偽装がまかりとおっていた。 なにしろそれが出版社(出版界)の常識だったようなので。 さすがに雑誌ではそれができなくなりつつあるようだ。 広告費を取っているわけだから、当然だが。 発行部数を偽っていたら、「詐欺」になってしまう。 さて、この「初版12万部」という数字はどうなのだろう。 正直、2万部の間違いではないのだろうか、と思ったり。 ミシュランが発行部数を偽装していたら、笑える。 むろん、そんなことはないだろうが。
鹿児島県警「内部調査公文書なし」:はあ?
うちでとっている地方紙「南日本新聞」の今日のトップ記事。 「志布志・県議選事件 内部調査公文書なし 県警 幹部会議記録せず」 「県警によると、内部調査を基に再発防止策を話し合う幹部会議は無罪判決直後の二月下旬から数十回開かれた。会議では、操作担当者からの聞き取りや捜査資料の再確認など、調査した幹部が担当ごとにそれぞれ口頭で報告。配布資料もなかった。」とか。 これが公務員の会議なのだろうか? 鹿児島県民(そして国民)をつくづく馬鹿にした組織(公務員)だなーと思う (というか、他のまじめな公務員の人たちに失礼だろう。) 実際のところは、記録に残すとまずいことが山ほどあったのではないか。 だから、記録に残せなかったのだろう。 と、誰もが思うに違いない。 「県警は、『幹部会議で調査結果をとりまとめたが、再発防止策を早急に決めることを優先したため、文書としては残さなかった』と説明している」。 はあ??? 事実を記録にのこさずに、どうして再発防止ができるだろうか? 上記の説明は、まったくもって説明になっていない。 「県警の会議はママゴトだ」という恥ずかしい告白になってしまっているのだが、本当にいいのだろうか? よほど甘やかされてきた組織と見える。 地方には強力な監視機関がないので、自分たちは何でもできると思っているのだろうか? 藤山雄治本部長に問いたいところだ。 重大な(犯罪的ともいえる)ミスを犯し、再発防止策を話し合うために会議を開いたが、記録は残さない。 これは民間企業なら許されない。 公務員なら許されるのだろうか? 許されるはずがない。 記録を残さないこと自体が、そもそも犯罪的行為であるし、自分たちの犯罪を隠蔽しようとしているのでは、という疑いが残る。 いずれは公務員は公務員としての責任をとらなければなるまい。 その基準は民間より厳しくて当然だ。 退職金返納程度では甘すぎる。
FC東京VSガンバ大阪
印税3パーセント希望
以前、「志布志事件に関する鹿児島県警のひどい答弁」という記事で、次のような文を書いた。 「ライブドア事件の時ように、検察が警察を強制捜査する場面を、テレビの生中継で見てみたいものである。」 書いた後、このアイディアは結構面白いなー、と自分で思ったのだった。 いわゆる自画自賛である。 というわけで、もし、このアイディアを使って、小説、テレビドラマ、映画等作ってみたいという人がいれば、印税3パーセントでお受けいたします。 さて、今日は印税3パーセント第2弾。 「個人に追い詰められた組織が最後にとる手段とは?」 知人に聞いた話。 個人に追い詰められた組織が最後にとる手段は、その個人を抹殺することだろう。 しかし、個人対組織という構図が第三者に明確になっている場合、ただ抹殺してしまっては、その個人を殺したのが自分たちの組織だと真っ先に疑われてしまう。 ある意味、バレバレである。 これではまずい。 では、どうするか? 知人の語るプロットによれば、自殺に見せかけて殺すか、殺した上で失踪という形にしてしまうのだそうだ。 どうやって自殺に見せかけるのか? まず自殺する動機を捏造する。 第三者をまきこんで、さも動機があったかのように少しずつ作りこんでいくわけだ。 (すでに第三者が何らかの形で関与していれば、それを利用する)。 その上で、たとえば、ネットで手に入るような薬とかをそのへんにしのばせておく。 そして、家族にこんな薬を飲んでいたようです、みたいな感じで報告すれば、何も知らない家族は、そうかと思うだろう。 ただ、死体解剖とかすれば、薬を常用していたかどうかくらいは分かるかもしれないが、言葉巧みに家族が死体解剖することを思いつかないように、あらかじめ作っておいたストーリーへと誘導するわけである。 ポイントは、自殺が不自然に見えないように、いかにあらかじめストーリーをうまく作り、第三者にそれを認知させておくかだ。 殺した上で失踪という形にする場合には、かなりリスクがともなう。 自殺は自殺とわかるが、失踪の場合、何か事件に巻き込まれた可能性がともなうからだ。 そこに第三者が関与していることが疑われれば、対立していた組織がまず疑われてしまう。 これをうまくやるポイントは、やはり、動機をできるだけ自然に捏造しておくことである。 かなりよくできたプロットだ。 しかし、まだ、続きがある。 実は組織の中に内通者がいたわけである。 で、その人物(複数?)により、上記のシナリオは第三者に漏れ、自殺に見せかけようと忍び込んだその一部始終(あるいは、失踪に見せかけて殺害しようとしたその一部始終)が、カメラで実況中継されていた、というわけだ。 しかも、そういう計画を仲間内で話している音声が、なぜか録音されていたりしたのである。 で、組織崩壊である。 その組織の内部の何人かが、自殺に追い込まれる。 実は、自殺の動機を持っていたのは、その組織の中の人間だった、というわけだ。 その組織がありえないことをやっていた、というのがことの真相。 この「ありえないこと」は、ちょっと視点を変えて検証すれば、誰にでも分かることだった、というおちがつく。 まあ、吉兆が消費期限を書き換えていたのと似たようなことで、それをより極端に悪質にしたようなことだろうか。 (消費者は、まさかあの老舗の吉兆が、と思ったものだ)。 一番わかりやすいのは、「捏造」がそのまま「動機の捏造」になる、というシナリオだ。 要するに、組織の中に、どうしようもない馬鹿が何人かいたのである。 これはかなりよくできたストーリーだと思う。 とりあえず、希望は印税3パーセント。 知人はあまり表に出たくない人なので、契約上の話はこのブログの管理人を通して欲しい。
東京市ヶ谷の釣堀でいい感じで日が暮れた
先日、市ヶ谷の釣堀にまた行ってしまった。 ここは本当に不思議な場所だと思う。 東京でありながら東京ではない、というか。 何が東京ではないかと言えば、それは時間の速度だ。 隣接する市ヶ谷駅のアナウンスとベルの音があわただしく始終聞こえているのだが、釣堀施設内には極度にのんびりとした静寂がたゆたっている。 ときどき魚が跳ねる。 空気が一瞬ゆらぐ。 しかしまたすぐに、さっきまでのまったりとした時間の流れに戻る。 ここでは時間が贅沢に過ぎていく。 市ヶ谷の釣堀は東京のオアシスかもしれないと思ったしだい。 ・・・などと、ありきたりな文章を書いてしまった。
上手い電話サポートと下手な電話サポート
電話サポートの質は、サポートする人によって恐ろしいほど変わるな、と思う。 上手い人はこっちが感動するほど上手いし、下手な人は話をしていてただいらいらしてしまう。 最近はものすごく上手いと感じるサポートの人が以前より増えたような気がする。 給料に換算して3倍くらいの差があってもいいのでは、と思うほどだ。 昼間のサポートが充実している会社でも、深夜はてんでだめだったりすることがある。 これは深夜のサポートを外注しているせいかもしれない。 一消費者の立場で言えば、サポートの印象がいいとその会社全体の印象が格段によくなるし、サポートの印象が悪いとその会社全体の印象が格段に悪くなる。 「格段に」というところがポイントなのだが、上手いサポートの人に高い給料を払っても、その人が1日に応対できるお客の数は知れているから、コスト的に見合わないということになってしまうのかもしれない。 これはとても残念なことだ。
ジャンル「俺」
自分がやろうとしていることを人に伝えるのは難しい。 既成のジャンルにうまく当てはまらないので、既成の言葉で表現できない。 他人に伝えるために、無理やり既成の言葉にあてはめて説明しようとすると、雑誌で覚えたのだかテレビで覚えたのだが知らないが、そのジャンルはそういうものではない、と言い出すナサケナイやつがごにょごにょと必ず出てくるものだ。 あ~、こいつ、言葉(というか、メディアが適当に名付けた造語)を受動的にしか理解できない(というか、おそらく本当は受動的にも理解できていない)かわいそうな人なんだ、と後で思っても、思うだけ時間の無駄だ。 (この種のかわいそうな人をたとえて言えば、受験英単語集に載っている語義以外の語義が、現実の文脈で現れることを、まったく知らないし、理解もできないというタイプである)。 では、どのように説明すればいいのだろう? 自分がやろうとしているジャンルは、一言で言えば、「ジャンル『俺』」である。
コンビニの肉まんを以前ほどおいしく感じなくなった件
昔からコンビニの肉まんが大好きだった。 普通に食事をするよりも、肉まんのほうがよかったりしたものだ。 ところが。 最近、コンビニの肉まんを以前ほどおいしいと感じなくなった。 なぜなのだろう。 コストを安く抑えるためにコンビに側が品質を落としたのではないか、とも思ったりしたのだが、 実際のところは、自分の味覚が変わってきているだけなのかもしれない。 そういえば子供の頃ビン入りのコーヒー牛乳が大好きで、当時は世の中で一番おいしい飲み物だった。 ところが、大学生くらいになって好きなだけ飲めるようになったときには、「なんかいまいちな味だなー」と感じるようになっていた。 コンビニの肉まんが以前ほどおいしいと感じられなくなったのも、これと同じ現象かもしれない。 だとすれば、ちょっとさびしい。
ちょっと生意気なことを書くと・・・
続・任天堂という資本の自己増殖運動
最近の株式市場の下落で、任天堂の株価が61,000円まで下落している。 11月1日には、10年来高値である73,200円をつけていたのだが。 それにしても。 以前「任天堂という資本の自己増殖運動」というエントリーを書いたときには、任天堂の株価は29,000円だった。 1月10日のことだ。 それがあれよあれよという間に(古いなこの言い方)上がって、73,200円に達していたわけだ。 「任天堂という資本の自己増殖運動」で取り上げたが、任天堂の売買単位は100株。 株価が61,000円の場合、6,100,000(6百10万)円ないと買えない。 お金持ちでない人間は、一生懸命働いたお金でゲームを買って、それでおしまいである。 お金持ちである人間は、もともとあったお金でゲームを買って、その上株を買って、うはうは(これも古いな)である。 もし任天堂の株が1株単位で買えていれば、お金持ちでない人間も株を買って、ゲームソフト代くらいは儲かっていただろう。 というか、Wii代くらいは儲かっていたはずだから、実質ただでゲーム機を手に入れられたことになる。 という構図の社会であり株式市場なのだが、これでいいのだろうか、と思ったり。 まあ、多くの人が何の文句もなく生きているわけだから、だぶんこのままでいいのだろう。 株式市場がどうとかとやかく言うより、明日上がる株の銘柄を考えろ、ということかもしれない。 といっても、株取引は現在やっていないのだが。
「好きにできる」という幸せ
ちょっと前にこんなニュースがあった。 「NOVA」の“救世主”にハゲタカの素顔 この会社の社長を擁護するするつもりはまったくないのだが。 「96年に学習塾からスタートしたのに、3年ほど前から猛烈な勢いで企業買収に乗り出していて、死臭に群がるハゲタカのようにいわれている。回転すし『平禄』、ちゃんこ料理『江戸沢』、『焼肉屋さかい』など、NOVAのような経営不振や破綻企業を狙うのが稲吉社長の手法で、『何を本業にしたいのか』とマユをひそめる市場関係者も多いのです」(証券関係者) とか、 「これまで稲吉氏は、破綻し、捜査当局ににらまれているような企業を安く買い叩いてきた。自社の知名度が低いためか、腐っても鯛で名の知れた上場企業を狙う。しかし、何のための拡大路線なのかわからない。ゲーム感覚で会社買収をしているようにしか見えません」 とか。 この手の論調には、もういささか辟易だ。 「何を本業にしたいのか」とか、 「何のための拡大路線なのかわからない」とか。 一見まじめに考えてます的な模範解答的言説に見えるが、もはやこういう視点(=テンプレート)自体が、一つ覚えじゃないでしょうか。 「何を本業」って、そういうふうに破綻した会社を買い叩いて会社を大きくしていくことが「本業」なのでは。 「何のための」って、資本主義社会で会社が拡大を目指すことは、ある意味、教科書に書いてある程度の基本方針のひとつなのだから。 (あくまでも「ひとつ」だが)。 昔は、新聞からコメントを求められると、「どちらの立場が欲しいの?」と記者の意向を聞いて、 その立場でコメントを述べる専門家がいたそうだ。 専門家とは、そういうものだ。 あらゆる立場からちゃんとしたことが言えてこそ、専門家の名に値しよう。 上記の専門家も、記者の意向をくみとり、記者が望むようなコメントを述べたにすぎないという気がする。 なにしろ、「証券関係者」であり「経済ジャーナリスト」なわけだから。 似たような事例は腐るほど見ているわけであり、何よりそれが業界標準であることを知り尽くしているだろう。 個人的には、NOVAを引き受けた社長に関して、一点だけうらやましいことがある。 それは、「好きにできる」という点だ。 なぜなら、「好きにできる」ことは、自分にとって絶対的な幸せのひとつだからだ。



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