「フィガロ ヴォヤージュ(FIGARO Voyage)」の薄さが、気になってしまう。 「クレア トラベラー(CREA TRAVELLER)」と同価格なのに、ページ数が約半分だ。 「クレア トラベラー」とは紙質が異なり、重量が軽いのは個人的にはとても好きなのだが。 どちらの雑誌も写真がとてもきれいで、一種の写真集としても楽しめる。
「フィガロ ヴォヤージュ」の薄さが気になる
「クレア・トラベラー」のバックナンバーが・・・
Amazon中毒
マーブルチョコレートの一粒のカロリーは約4.32kcal
庄野潤三さんの世界
作家の庄野潤三さんが亡くなられた(9月21日)。 88歳。 ご冥福をお祈りします。 庄野潤三さんで思い出すのは、かつての朝日新聞の書評だ。 『ピアノの音』(1997年)に対するものだったが、評者(たぶん女性のライターだったと思う)は、 「確かに文章は美しい。 しかし、病気の痛みや死の恐怖がまったく描かれていない。」 と(いうように)、批判的に書いていた。 自分はその批判的な書評(とりわけ上記の部分)を読んで、どうしようもなく『ピアノの音』が読みたくなった。 まず図書館で借りて、その後買った。 批判的な書評によって、自分は庄野さんの作品と出会うことができたわけだ。 『ピアノの音』その他の、庄野さんの晩年の作品(『庭のつるばら』や『うさぎのミミリー』など、老夫婦の日常を日記風に描いたもの)は、タイトルこそ違うが、内容は基本的にどれも同じだ。 もし「文学」というものに、唯一たどり着く場所があるとしたら、それは庄野さんの晩年の世界だと、個人的には思う。 そういえば村上春樹が何かの本で、初期の庄野さんの作品を評価しつつ、最近のものについて、「どうしてそっちへ行っちゃったの?」みたいなことを言っていた。 村上春樹の作品は、巨大な迷宮を果てしなくさまよい、永久にどこへもたどり着くことのない世界だから、村上春樹の対極が庄野さんだったように個人的には思う。 (と書いてはみたが、最近は村上春樹をまったく読んでいない。 というか、小説自体を読んでいない。) 以前ある人が、「文学は『問い』であり、エンターテイメントは『答え』である」と言っていたが、その意味では、村上春樹の作品は典型的に文学だ。 朝日新聞はその後、文芸時評だったか何かの文芸コラムだったかや、新作の書評で、庄野さんの作品をべた褒めしていた。 『ピアノの音』のくだんの書評に対して、「何も分かっていない」という投書が寄せられたのかもしれない。


![Horror road _ B&W [EXPLORE] Horror road _ B&W [EXPLORE]](http://static.flickr.com/7166/6851119753_b3ac96559d_t.jpg)
![Sweet Cappuccino [127_365 One Day One Photo] - Explored #8 Sweet Cappuccino [127_365 One Day One Photo] - Explored #8](http://static.flickr.com/7025/6851417899_20703df421_t.jpg)
![Howling [Explored] Howling [Explored]](http://static.flickr.com/7161/6853739039_90b79ba07f_t.jpg)