庄野潤三さんの世界

作家の庄野潤三さんが亡くなられた(9月21日)。
88歳。
ご冥福をお祈りします。

庄野潤三さんで思い出すのは、かつての朝日新聞の書評だ。

『ピアノの音』(1997年)に対するものだったが、評者(たぶん女性のライターだったと思う)は、
「確かに文章は美しい。
しかし、病気の痛みや死の恐怖がまったく描かれていない。」
と(いうように)、批判的に書いていた。

自分はその批判的な書評(とりわけ上記の部分)を読んで、どうしようもなく『ピアノの音』が読みたくなった。
まず図書館で借りて、その後買った。

ピアノの音

批判的な書評によって、自分は庄野さんの作品と出会うことができたわけだ。

『ピアノの音』その他の、庄野さんの晩年の作品(『庭のつるばら』や『うさぎのミミリー』など、老夫婦の日常を日記風に描いたもの)は、タイトルこそ違うが、内容は基本的にどれも同じだ。

もし「文学」というものに、唯一たどり着く場所があるとしたら、それは庄野さんの晩年の世界だと、個人的には思う。

そういえば村上春樹が何かの本で、初期の庄野さんの作品を評価しつつ、最近のものについて、「どうしてそっちへ行っちゃったの?」みたいなことを言っていた。

村上春樹の作品は、巨大な迷宮を果てしなくさまよい、永久にどこへもたどり着くことのない世界だから、村上春樹の対極が庄野さんだったように個人的には思う。
(と書いてはみたが、最近は村上春樹をまったく読んでいない。
というか、小説自体を読んでいない。)

以前ある人が、「文学は『問い』であり、エンターテイメントは『答え』である」と言っていたが、その意味では、村上春樹の作品は典型的に文学だ。

朝日新聞はその後、文芸時評だったか何かの文芸コラムだったかや、新作の書評で、庄野さんの作品をべた褒めしていた。
『ピアノの音』のくだんの書評に対して、「何も分かっていない」という投書が寄せられたのかもしれない。

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