あれこれやろうとすると、どうしても仕事を自動化する必要が出てくる。 自動化というと、昔はどこか非人間的な感じがしていたが、今はむしろ人間的であるためにこそ、可能なところは自動化すべきなのだと思うようになった。 考えてみれば、仕事を人にやってもらうことも、一種の自動化だ。 個人的には、ほぼすべてのことを自動化してしまいたい気がする。 以上、今日のメモ。
自動化の必要性
次の資本主義
松藤民輔氏の「超・投資勉強法」を読んでみた。 (以前「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」を読んだことがあった。) 松藤氏は書いている。 「どんな分野でも、人に「一人前」と評価されるには、少なくとも500時間の勉強が必須ではなかろうか。(中略) プロフェッショナルと認められるにはざっと5000~1万時間は勉強しなければならないと思う。」 500時間・・・。 たった? 500時間なら1日に10時間勉強すれば、50日で達成できてしまう。 仕事を持っている人には無理だが、大学生なら一度の夏休みで完了だ。 1日5時間勉強して、3年で5000時間、6年で1万時間。 氏の考えに従えば、うまくいけば、3年でプロフェッショナルになれることになる。 ちょっと少なすぎるのでは、という気もするが、投資に面白さを感じない人は1日5時間の勉強を到底続けられないだろうし、投資が面白くてしょうがない人は、5時間勉強しても勉強した気がしないだろう。 自分が面白いと感じることは勉強自体が一種の遊びだ。 他人からは努力しているように見えるが、当人は楽しんでいるだけである。 以下、いつもの暴論。 雇用されずに生きていける人間は、できるだけ雇用されずに生きていくべきだと思う。 なぜならそれにより1人分の雇用枠を他人に譲ることができるからだ。 「働かざるもの、食うべからず」という言葉があるが、これからは、「働かざるとも食えるもの、働くべからず」である。 投資で生きていけるというのは、一つの理想だ。 しかし、少子高齢化が進む先進国が豊かであり続けるためには「働かざるとも食えるもの」を増やしていくしかない。 「働かざるとも食えるもの」が働くことは、非道徳的であり悪である。 次の資本主義が目指すべき場所は、そこだと思う。 (景気が良くなって人手が足りなくなったらどうするのだ、という意見があるだろうが、世界には生きていくことができないほど貧しい人々がたくさんいる。 国境という壁を越えて、彼らに雇用枠を提供すれば、貧困の解決に役立つ。 むろんそのためには教育が必須だが、教育産業を充実させること自体が新たな雇用を生むことになる。 また、人手が足りなくなれば、その分賃金は上がる。 さらに、賃金を資本化するしくみによって、誰もが「働かざるとも食えるもの」になれる道筋が確保されていることが重要であることは、言うまでもない。)
テンプレートジャーナリズムの落日2
朝日新聞襲撃事件の実行犯を名乗っていた人物が、週刊新潮の手記の内容を否定したのだとか。 朝日襲撃「実行犯」が新潮連載の手記を否定 文春や各紙報じる 最近、週刊誌ジャーナリズム(というかメディア)の信頼性を揺るがす出来事が続いている。 おそらく現場の人たちは、第三者から見たら一目瞭然のある重大なことに気づいていないのだろう。 自分たちが様々な組織に利用されるだけの存在に堕していることに。 これはNHKのニュースでも同じだ。 情報に対してパブロフの犬的な反応しかできない、とすっかり見切られているわけだ。 利用する側にとって、これほど利用しやすい存在はない。 利用しようとする側にはそうせざるを得ない後ろ暗い何か(理由)があるものだ。 利用されるふりをして、それを暴く程度の芸があってもよさそうだが。
野暮用で法律事務所へ
野暮用で法律事務所へ行くことになった。 で、色々調べてみたのだが、 このネット時代にホームページやブログを持たない法律事務所が結構たくさんあり、驚いた。 これはどういうことなのだろう? 弁護士事務所はホームページを作って営業する必要がないほど仕事が次々とある、ということなのだろうか? それとも、弁護士の人には、インターネットのことは分からない・興味がないという昔気質の人が、案外多いということだろうか? おそらく一般人にとって弁護士事務所は相当に敷居の高い場所だ。 だからこそ、少なくともある程度はホームページ等でプロフィールや業務のプロセス・料金等をオープンにする必要があるように思うのだが・・・。 (ちなみに、これはエイプリルフールネタでは、もちろんない。)
賃金の資本化
某文芸評論家が新聞で紹介していたので読んでみた。 賃労働と資本 (岩波文庫) われわれが生きている資本主義社会のしくみを、実に見事に解説している。 派遣切り等が取りざたされている今こそ、読んでみる価値のある本だ。 「マルクス主義」者ではないマルクスからは、学ぶことが多い。 で、思ったのだが。 結局のところは、個人は、賃金(労賃)を資本化し、「一消費者兼一投資家」になることでしか、この社会で自由を得られないのではないか? (すでに何回か書いたことだが。 「任天堂という資本の自己増殖運動」2007年1月10日 「結論」2008年8月24日 その他) 幸いなことに、マルクスの時代とは違って、現代は賃金(労賃)を資本化するための環境としくみが整いつつある。 「労働者」に必要なのは、「労働者」としてのスキルではなく、「労働者」をやめるためのスキルなのかもしれない、と思ったり。 注) いつもの暴論です。
思考の場としての都市
テレビの敵はネットではなく
様々なニュースで取り上げられていることだが、広告収入の落込みでテレビ局は経費削減を迫られているのだとか。 直近の理由は世界不況だろうが、構造的な問題として、インターネットの出現が影響を与えていることは間違いない。 だからテレビ関係者の中には、ネットを敵視している人たちがいるのだろう。 たまにテレビを見ると、ネットに対するあからさまな悪意を感じることがある(とりわけ午後6時前後の某ニュース番組内の某制作会社の演出過剰な社会レポート)。 もちろんネットには今現在数多くの問題があるのも事実だが、一方的な批判や情報操作を目にすると、つい昨年の大河ドラマ『篤姫』の中の「一方を聞いて沙汰するな」という言葉を思い出す。 まあ、深夜番組以外はそれほど見るわけではないので、個人的には無関係ではあるのだが、最近つくづく、テレビにかかわる人々がおそらく無意識に敵視しているのは本当にネットなのだろうか、とも思ったりする。 彼ら(ネットを敵視している人々)は気づいていないだろうが、彼らが本当に敵視しているのは、というより、敵視せざるを得ないのは、 ネットではなく歴史ではないのか? 歴史の意志ではないのか? 「Time Is on My Side」というミック・ジャガーが歌った名曲があるが、誕生以来初めて、テレビは「Time」が「My side」から離れつつあることを感じているのかもしれないなー、と思ったり。
FX
組織のいやなところ
組織のいやなところは、時々、法律や内規に違反するようなことや人道に反すること等を当たり前のように上司に命令されることがある、ということだ。 たとえば、建設会社に就職して、談合の担当になってしまったら、どうすればいいのだろう? とんでもないことを上司に内々に命令され、やらざるを得ないとしたら。 そして、やってしまったとしたら。 とりあえず、信頼できる複数の人間にそのことを話しておく方がよい。 そうすれば、いずれその悪が発覚したとき、やったのは自分の意志ではなく上司の命令であると証明できる。 とんでもないことを命令するような上司は、いざとなったら責任を部下になすりつけて、自分は知らないふりをする可能性が極めて高いので、第三者にあらかじめ話しておくことは必須である。 しかし、信頼できるはずの人間が、あなたではなく組織の方を守るために嘘を証言するということも十分にありうる。 とりわけその組織が面子を重視せざるを得ないような大組織の場合はそうだ。 だから、万が一そうなった時のために、組織外の人間(複数)にも、誰に命令されたのかを話しておく方が安全だろう。 まあ、上司の命令がどう考えてもおかしいものならば、たとえ一度従ってしまった後でも、組織内部のコンプライアンス関連の部署にきちんと報告しておくにこしたことはない。 後で握りつぶされないようにするために、ただ報告するだけではなく、記録が残るように報告しておくことが大事だ。 上司の命令でいやいややってしまった悪をあなた個人のせいにされるのだけは、なにがあっても防がなければならない。 どんな組織に属していても、最終的に自分を守るのは自分しかいない、ということを、肝に銘じておくべきだろう。
ディーリングの本が届いた
腐った組織
FXが面白すぎる
印税3パーセント希望
以前、「志布志事件に関する鹿児島県警のひどい答弁」という記事で、次のような文を書いた。 「ライブドア事件の時ように、検察が警察を強制捜査する場面を、テレビの生中継で見てみたいものである。」 書いた後、このアイディアは結構面白いなー、と自分で思ったのだった。 いわゆる自画自賛である。 というわけで、もし、このアイディアを使って、小説、テレビドラマ、映画等作ってみたいという人がいれば、印税3パーセントでお受けいたします。 さて、今日は印税3パーセント第2弾。 「個人に追い詰められた組織が最後にとる手段とは?」 知人に聞いた話。 個人に追い詰められた組織が最後にとる手段は、その個人を抹殺することだろう。 しかし、個人対組織という構図が第三者に明確になっている場合、ただ抹殺してしまっては、その個人を殺したのが自分たちの組織だと真っ先に疑われてしまう。 ある意味、バレバレである。 これではまずい。 では、どうするか? 知人の語るプロットによれば、自殺に見せかけて殺すか、殺した上で失踪という形にしてしまうのだそうだ。 どうやって自殺に見せかけるのか? まず自殺する動機を捏造する。 第三者をまきこんで、さも動機があったかのように少しずつ作りこんでいくわけだ。 (すでに第三者が何らかの形で関与していれば、それを利用する)。 その上で、たとえば、ネットで手に入るような薬とかをそのへんにしのばせておく。 そして、家族にこんな薬を飲んでいたようです、みたいな感じで報告すれば、何も知らない家族は、そうかと思うだろう。 ただ、死体解剖とかすれば、薬を常用していたかどうかくらいは分かるかもしれないが、言葉巧みに家族が死体解剖することを思いつかないように、あらかじめ作っておいたストーリーへと誘導するわけである。 ポイントは、自殺が不自然に見えないように、いかにあらかじめストーリーをうまく作り、第三者にそれを認知させておくかだ。 殺した上で失踪という形にする場合には、かなりリスクがともなう。 自殺は自殺とわかるが、失踪の場合、何か事件に巻き込まれた可能性がともなうからだ。 そこに第三者が関与していることが疑われれば、対立していた組織がまず疑われてしまう。 これをうまくやるポイントは、やはり、動機をできるだけ自然に捏造しておくことである。 かなりよくできたプロットだ。 しかし、まだ、続きがある。 実は組織の中に内通者がいたわけである。 で、その人物(複数?)により、上記のシナリオは第三者に漏れ、自殺に見せかけようと忍び込んだその一部始終(あるいは、失踪に見せかけて殺害しようとしたその一部始終)が、カメラで実況中継されていた、というわけだ。 しかも、そういう計画を仲間内で話している音声が、なぜか録音されていたりしたのである。 で、組織崩壊である。 その組織の内部の何人かが、自殺に追い込まれる。 実は、自殺の動機を持っていたのは、その組織の中の人間だった、というわけだ。 その組織がありえないことをやっていた、というのがことの真相。 この「ありえないこと」は、ちょっと視点を変えて検証すれば、誰にでも分かることだった、というおちがつく。 まあ、吉兆が消費期限を書き換えていたのと似たようなことで、それをより極端に悪質にしたようなことだろうか。 (消費者は、まさかあの老舗の吉兆が、と思ったものだ)。 一番わかりやすいのは、「捏造」がそのまま「動機の捏造」になる、というシナリオだ。 要するに、組織の中に、どうしようもない馬鹿が何人かいたのである。 これはかなりよくできたストーリーだと思う。 とりあえず、希望は印税3パーセント。 知人はあまり表に出たくない人なので、契約上の話はこのブログの管理人を通して欲しい。
上手い電話サポートと下手な電話サポート
電話サポートの質は、サポートする人によって恐ろしいほど変わるな、と思う。 上手い人はこっちが感動するほど上手いし、下手な人は話をしていてただいらいらしてしまう。 最近はものすごく上手いと感じるサポートの人が以前より増えたような気がする。 給料に換算して3倍くらいの差があってもいいのでは、と思うほどだ。 昼間のサポートが充実している会社でも、深夜はてんでだめだったりすることがある。 これは深夜のサポートを外注しているせいかもしれない。 一消費者の立場で言えば、サポートの印象がいいとその会社全体の印象が格段によくなるし、サポートの印象が悪いとその会社全体の印象が格段に悪くなる。 「格段に」というところがポイントなのだが、上手いサポートの人に高い給料を払っても、その人が1日に応対できるお客の数は知れているから、コスト的に見合わないということになってしまうのかもしれない。 これはとても残念なことだ。
続・任天堂という資本の自己増殖運動
最近の株式市場の下落で、任天堂の株価が61,000円まで下落している。 11月1日には、10年来高値である73,200円をつけていたのだが。 それにしても。 以前「任天堂という資本の自己増殖運動」というエントリーを書いたときには、任天堂の株価は29,000円だった。 1月10日のことだ。 それがあれよあれよという間に(古いなこの言い方)上がって、73,200円に達していたわけだ。 「任天堂という資本の自己増殖運動」で取り上げたが、任天堂の売買単位は100株。 株価が61,000円の場合、6,100,000(6百10万)円ないと買えない。 お金持ちでない人間は、一生懸命働いたお金でゲームを買って、それでおしまいである。 お金持ちである人間は、もともとあったお金でゲームを買って、その上株を買って、うはうは(これも古いな)である。 もし任天堂の株が1株単位で買えていれば、お金持ちでない人間も株を買って、ゲームソフト代くらいは儲かっていただろう。 というか、Wii代くらいは儲かっていたはずだから、実質ただでゲーム機を手に入れられたことになる。 という構図の社会であり株式市場なのだが、これでいいのだろうか、と思ったり。 まあ、多くの人が何の文句もなく生きているわけだから、だぶんこのままでいいのだろう。 株式市場がどうとかとやかく言うより、明日上がる株の銘柄を考えろ、ということかもしれない。 といっても、株取引は現在やっていないのだが。



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