土曜日や日曜日の午前中には、1週間の出来事を振り返る情報番組がたくさんある。 (自分はほとんど見ていないが・・・。) それと同じように、 日曜日の夜11時以降に、月曜日からの出来事を予習する情報番組があってもいいと思う。 政治・経済・金融などの主な予定をチェックし、それがどう動きそうか、どういう影響を世界に与えそうかなどを、専門家のコメントを交えながら押し付けがましくなくわかりやすく提示してくれたら、喜んで見るのだけれど・・・。 NHKが、日曜の夜11時からやってくれないだろうか。
日曜の夜に1週間の予習番組がほしい
「売れているから売れる、だから・・・」というプロモーション
テレビがひどいことになっている
もろもろ準備のために、このところこのブログを更新できていなかったのだが、あまりにテレビがひどいことになっているようなので、メモってみる。 「日テレ系列の福岡放送がTwitterで韓流批判をした高岡蒼甫を『人種差別主義者』と痛烈に批判」(痛いニュース) 高岡蒼甫(さん)という若手俳優は、宮崎おあい(さん)の夫で、韓流ばかり放送するフジテレビをTwitterで批判したことで、事務所を辞めることになったらしい。 その高岡さんをいくつかの地方テレビ局がたたいているようだ。 「韓流を批判したらこういうことになるぞ」という芸能人に対する脅し(見せしめ)のように見えなくもない。 これはどこからお金が出ているのだろうか? ・・・・・・ それにしても、「人種差別主義者」はないだろう。 「ある意味、人種差別主義者というレッテルを貼られる。 イメージが悪いから復帰は無理」という発言らしいが、この発言自体に、テレビを通じて「人種差別主義者」というレッテルを貼ろうとする意図が見え見えであり、この発言をした人間のイメージがありえないほど悪い。 この発言をした人間は、バカなのか。 実際のところバカそのものだったのか、 それとも広告代理店からそういう言葉を使うように指示があったのか? BPOにきちんと調べてほしいところだ。
原発事故以降よくチェックするサイト
「二階堂」とか「J-CIA」(有料)とか。 原発事故の後、メディアがこぞって大本営発表になってしまったので、上記のサイトをよくチェックするようになった。 ものごとに対する考え方・好き嫌いはひとりひとり違って当然であり、大切なのは情報があるかないかだと思う。 むろん、その情報をどう判断するか(真偽を含め、どう受け取るか)は、自己責任だ。 あしからず。 それにしても、テレビや新聞は、どうして自分たちで福島や関東各地の放射線量を測定し、それを自分たちの情報として発表しないのだろうか? それほど手間やお金がかかることには思えないのだが・・・。 あと個人的には、原発事故以降(というか、そのちょっと前ぐらいから)、TBSの夜11時のニュースががんばっていると思う。
K-POPとテレビの権威
K-POPとテレビについてのメモ。 テレビでK-POPをごり押しすればするほど、テレビの権威がすりつぶれていっている、ように見える。 個人的な印象だが。 これからはテレビに、誰も権威を感じなくなるだろう。 なぜならテレビは、もはや新聞のちらしと同じだからだ。 新聞のちらしは、スーパー・家電量販店の安売り情報や外食チェーン店の人気(一押し?)メニューなど、それなりに役に立つ。 しかし、権威はない。 テレビが新聞のチラシと同じなら、チラシであるテレビにとっての新聞は何か? ニュース番組だろうか? いや、まさか。 電波だろう。 注) いつもの暴論です。
検察の困った運命
白黒どちらに転んでも、検察の面目は丸つぶれだ。 「小沢一郎元民主党幹事長が検察審査会で2度目の起訴相当の議決を受け、強制起訴される。」(日本経済新聞) 裁判で小沢氏が黒ということになれば、「検察はなぜ有罪になる小沢氏を起訴しなかったんだ?」ということになるし、白ということになれば、あれだけマスコミを使って印象操作をしていたわけだから「また検察による冤罪だったのか?」ということになってしまう。 どちらにしても、検察の無能さが裁判で証明されるわけだ。 その上これは、小沢氏が黒であろうが白であろうが、裁判が始まる前にすでに決定しているストーリーだ。 「検察の無能さが裁判で証明される」ということが、今この時点で、運命のように決まっているのだ。 ああ、残酷だ。 これだけで済めばよいが、万が一(あくまで万が一だが)、裁判の過程で、小沢氏の関与や秘書の虚偽記載そのものを否定する「こんなことも調べられなかったの?」という事実が出てこようものなら、検察は本当に終わってしまうだろう。 「見立てが違っていたらグレーにしとけばOK」というシナリオも、これからは使えなくなる。
小沢さんの立候補に思う
ニュースによれば、民主党の総裁選に小沢さんが立候補するらしい。 直近の世論調査の支持率が異常に低いにもかかわらず、あえて立候補するわけだから、「権力への執着」等とマスコミからは激しくたたかれるに違いないと思う(すでにこれまでもさんざんたかかれてきた)。 ただ個人的には、何かよほど腹にすえかねることがあったのかもしれないという感じがしないでもない。 小沢さんが首相になれば、マスコミに渡ったとされる官房機密費の問題があきらかにされることがあるのだろうか??? あるいは、検察のスキャンダル(悪事)が暴かれたりすることがあるのだろうか??? もしそういうことがあるのなら、小沢首相誕生を見てみたい気も、しないでもないでもない・・・・・・。
「幸福」のイメージの貧困
秋葉原の事件からちょうど1年になるということで、昨日はニュースがこぞってその話題を取り上げていた。 で、あらためて思った。 メディアによって日々垂れ流される幸福のイメージがあまりに貧困であることが、あの事件の背景にあるのではないか、と。 人間には、性格や体質の違いなどの個体差がある。 しかし、なぜかメディアが垂れ流す「幸福」のイメージはいつも同じだ。 一人ひとりが違うのに「幸福」の種類が一つしかなければ、そこからはみ出す人が大量に出てくるは当然だ。 秋葉原事件の犯人は自分のことを「幸福」ではないと信じていたようだ。 確かに、彼は派遣社員だった。 今の日本では、派遣社員であれば、「幸福」ではない。 しかし、本当のところは、そうであるはずがない。 雇用が安定していない、ということと、「幸福」ではない、ということは、無関係だ。 幸福はもっと(というか、本来は100%)パーソナルなものだ。 少なくとも、ショップでナイフを買い、店員さんと言葉をかわしていた時の彼は、幸福そうに見えた。 犯人はメディアが垂れ流す「幸福」のイメージをいちいち真に受けていたのだろう。 「テレビで大々的に取り上げられるような大きな事件を引き起こす人間」=「悪のヒーロー」=「幸福」(少なくとも「派遣社員」より)と思っていたようなふしもある。 ところで、メディアが垂れ流す「幸福」のイメージは、なぜ画一的なのか? それには、それなりの社会的な理由があるようだ。 かつて、皆が同じ「幸福」を目指すことで、経済が急激に成長していた時代があった。 一種類の「幸福」を目指して多くの人が同じもの(車や家など)を欲しがり買うことで、今でも経済は回っている。 だから、「幸福」は画一的であるほうが、経済効率がいい。 なるほど。 そうであるとは言え。 秋葉原事件を思い出すと、いまだに、正社員=「幸福」、派遣社員=「不幸」、というような画一的なイメージを大量に、しかも一生懸命垂れ流しているメディアの罪は、深い、というしかない。 「幸福」のイメージが貧困な人々(と言えば、不正確だが、レトリック的につい書いてしまった)によって、日々、貧困な「幸福」のイメージが再生産されているのだ。
そろそろ始まりか?
PTAが悪の権化に見えたとき
ニュースによると、テレ朝系「ロンドンハーツ」が、4年連続、日本PTA全国協議会の「子供に見せたくない番組」第1位に選ばれたそうだ。 昔で言えば、「8時だよ、全員集合!」と「ひょうきん族」のポジション。 これはたいへんな名誉だ。 小学生のとき、「8時だよ、全員集合!」が「俗悪番組」ナンバーワンに選ばれたと聞いたときには、深く心を傷つけられたものだ。 「こんなに面白い番組を、PTAは自分から取り上げようとしているのか」 と、怒りさえこみ上げてきた。 PTAが悪の権化に見えた。 大人というものに、初めて違和感をおぼえた。 いや、これは冗談じゃなく、本当の話。 当時「8時だよ」や「ひょうきん族」を見ていた子供たちが、今たぶん親になりPTAのメンバーになっているのだと思う。 たいていの親は、「見せたくない」と思いつつ、子供たちはこういう番組を見ながら自然に大人になっていくのだということを、知っているわけだ。
かなりのんびりやれる広大なニッチ
そもそも「広大なニッチ」という言い方が成立するのかどうか不明だが、まさにインターネットは「広大なニッチ」である。 インターネットの世界には、天才的な(あるいはアーティスティックな)プログラマーはたくさんいる(・・・と思う。が、たくさんではないのかもしれない。とにかく、当たり前だが、優秀な理系の人たちはたくさんいる)。 彼らの周りには広告畑の人たちが、ちらほらいる。 ところが、コンテンツ系の人たちは案外(というか驚くほど)少ない。 コンテンツ系の人たちは、インターネットと対立する(?)世界の方にうじゃうじゃいるのだ。 対立する、とは、要するに、インターネットがこのまま発展すれば生活レベルが低下する可能性がある、という意味だ。 (むろん、可能性がある、には、インターネットとの関係が現状のままならば、という条件が付く)。 就職をめざしている大学生レベルならどうだろう? ある大学生が、テレビ局と、電通と、サイバーエージェントの3社に同時に内定が出たら、彼はどこを選ぶだろう? 普通に考えたら、というか、無責任に想像したら、テレビ局か電通だろう。 権威、という意味でもそうだが、何しろ給料が全然違う。 今の大学生レベルでも、インターネットは既存のマスコミにまったくかなわないのだ。 ところが、インターネットはコンテンツがなければ成立しない。 結果として、実はここに「かなりのんびりやれる広大なニッチ」が生まれるわけだ。 追記1: そもそもテレビ局と電通とサイバーエージェントに同時に内定が出るような学生がいるのか、という話がある。 いるだろう、と思う。 自分が学生のとき、某大新聞社と某関東キー局から同時に内定を得た学生がいた。 12号館ラウンジで数回会ったことがある程度だったが、自分たちがTシャツにジーンズやタンガリーシャツにチノパンのような汚い格好をしているときに、彼は10万円(と聞いた)ブランドのスーツを着ていた。 優秀でかっこよかった。 彼はテレビ局を選び、「やっぱり新聞社の方がよかった」と言っていたらしいのだが、若くしてある取材中に亡くなってしまった。 当時の上司が、あるいは当時のマスコミの体質が、自然をなめていたからだ。 自然をなめてはいけない。 人間をなめてもいけない。 中途半端に終わらせてはいけないことが、ある。 追記2: 今このブログは公式ホームページから「個人ブログ」としてリンクが張られているが、もうちょっとしたらはずすつもり。 そろそろ公式ブログを立ち上げようと思う。
阿佐ヶ谷の盗掘跡地
写真は、以前、「タモリクラブ」で、アンモナイトなどの化石が埋まっていると紹介された場所だ(阿佐ヶ谷駅前)。 放送後、しばらくしてチェックしたら、すでに盗掘されていた。 つまり、埋まっていたはずのアンモナイトなどの化石が掘り出されて、小さな穴ぼこだらけになっていたのだ。 やはりテレビの影響力はすごいなーと思ったのだが、壁を穴だらけにされた店にしてみれば、たまったものじゃない。 今日たまたま通りかかったら、改修中だった。 改修費は、当然、テレビ局が出したものと思われる。 (これはあくまでも、個人的な願望だが)。 それにしても。 放送はだいぶ前(1年以上前、ひょっとしたら2年以上前か)だったのに、なぜ今頃になってなんだろう、と思ったしだい。
ナイーブさを批判するナイーブさは有害だ
「あるある」事件やTBSの一連の「捏造」疑惑に対して、ネット上で批判が相次いでいる。 当然だろう。 しかし、それに対して、「マスコミの捏造なんて、誰もが知っている当たり前のことなんだから、それをいちいち批判するナイーブさはいかがなものか」などという、ひどくナイーブな意見が、一方で出てきたりする。 こういうことを言い出すのは、たいてい、大学教授などのナイーブな肩書き的知識人・文化人だ。 前者のナイーブさは、実は戦略的な「ナイーブ」さであったりすることもあるわけだが、後者のナイーブさは、困ったことに、正真正銘の温室栽培的ナイーブさだ。 その上、本人が自分のナイーブさにまったく気づいていないのだから、しまつにおえない。 はたで見ていて、ちょっと恥ずかしい。 昔の言葉で言えば、「かたわらいたし」だ。 本来事実を伝えるべきニュースや情報番組で捏造があったら、たたく。 これは、視聴者の義務だ。 たたくスタンスが、ナイーブであろうとなかろうと、関係ない。 テレビの捏造は犯罪に等しい。 捏造したディレクターは、逮捕されてしかるべきだろう。 視聴者としての義務を果たすことに、ナイーブもへったくれもない。 それから、ナイーブな批判者をナイーブだと批判するナイーブな知識人・文化人や、メディアの人の中には、「表現の自由」と「捏造の自由」を混同している人もいるようだ。 何を血迷っているんだか。
終わりが始まっている
[フジテレビ]「恐怖の食卓」内容に問題…HPで謝罪(毎日) ということらしい。 放送は昨年9月28日。 しかしながら、AD/HDと食事との因果関係は現代医学でも未だ十分に解明されておりません。そのような状況の中、食事が発症原因の一つと表現してしまったことは、誤りであったと思います。また、将来的にAD/HDが少年犯罪と関連するかのような表現を用いた点については、行き過ぎたものと反省しております。(「視聴者の皆様へ」より引用) テレビで放送した内容をホームページで謝罪しても、ほとんどの人は見ないのではないか。 視聴者に間違った情報を与えたまま、スルーということなのだろうか。 ちゃんとテレビで謝罪すべきだろう。 子どもの頃、テレビばかり見ているとバカになる、とよく言われたものだが、こういうことだったのか。
NHKがバカな視聴者のためにニュースで捏造? ・・・まさか。
今日日経平均が1万8000円を回復した。 NHKの9時のニュース(今放送中)を見ていたら、3人のエコノミストに今後の株価の動きの予想を聞いていた。 キャスターいわく。 「見方が分かれました」。 確かに、3人の予想は、「大きく上がる」、「ほんのちょっと上がる」、「下げる」、と見事に分かれていた。 さて。 この映像を流すのに、NHKはどういう取材の仕方をしたのだろう? 可能性は2つある。 (1)上記の3人に意見を聞きに行ったら、たまたま予想が3つに分かれた、という可能性。 もしそうなら、「分かれた」というキャスターのコメントは完全に正しい。 (2)そうではなくて、あらかじめリサーチをした上で(あるいは、事前の知識に基づいて)、意見が異なる専門家を選んで取材したということも考えられないわけではない。 なぜなら、それがマスコミの取材の慣習だからだ(おそらく)。 この場合、「分かれた」というキャスターのコメントは完全に誤りだ。 単に間違いであるどころか、視聴者に対して平然と嘘をついたことになる。 「分かれた」のではなく、「分かれるように取材した」のだから。 正しくは、「意見の異なる3人の専門家に話を聞きました」とコメントすべきだろう。 まあ、まじめなNHKのことだから、(2)ということはないのだろう。 たまたま3人の専門家に話を聞いたら、たまたま意見がきれいに3つに分かれただけなのだろう。 いくらなんでも、(2)の取材で「分かれた」というコメントは視聴者をバカにしすぎだし。 しかし、もし仮に(2)だったとしたら・・・。 (もちろん「善意」でだが。ただし、幼い「善意」。このブログの用語で言えば、「空想共同体的正義感」)。 テレビの現場の人たちが、哀れなほど世の中(視聴者)が見えなくなっている、ということだろうか。 追記: マスコミを話題にするのにちょっと飽きてきた今日このごろ。

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