ネットマーケティングに関するメモ

興味深い記事が2つあった。 「いま、『少女時代』のステルスマーケティングが凄い! (追記あり)」(BLOGOS 2011年12月15日) 引用 「今回はネタが少女時代みたいな芸能ネタだから良いですけども、場合によっては選挙時期や、国際問題、デモなどで使われる可能性がとても高いってことで、お話としてはもはや公安ネタや外事ネタになってますね。」 「 結構本気でこういうステルスマーケティングについては有償か無償かに関わらず法律でも作って制限をかけていったほうがよろしいかと思います。」 「本気で組織的にやろうとしたらもう防げないでござるね。」   「Yahoo知恵袋で風評被害を受けた誹謗中傷対策会社、同業者を裁判で訴える」(GIGAZINE 2011年12月14日) 引用 「風評被害対策・誹謗中傷対策を行っている会社が「Yahoo!知恵袋」で根拠のない書き込みをされたのでヤフーに書き込んだ者のIPアドレス開示請求を行ったところ、同じ風評被害対策・誹謗中傷対策を行っているライバル会社の代表取締役であることが判明したため、名誉毀損、信用毀損及び威力業務妨害による損害賠償請求を東京地方裁判所に提訴したそうです。」  

「浅田真央が戦ってきたもの」

この前の冬のオリンピックの後に、一般のフィギュアファン(ファン歴17年の人)によって書かれた「浅田真央が戦ってきたもの」というレポートがある。 http://www31.atwiki.jp/injustice/ 熱のこもった、フィギュアに対する愛が伝わってくるレポートだ。 以下は、個人的な雑感。 フジテレビの偏向報道に対するデモが東京でこれまでに2回行われた。 参加しているのは、ビデオを見れば一目瞭然だが、一般の人たちだ。 これは本当に珍しいことだと思う。 おとなしいと言われる日本人を行動に駆り立てた原動力の一つになっているのが、フィギュアスケートの浅田真央選手へのフジテレビの一連の侮辱行為に対する積年の恨みであることは、ここで指摘するまでもないだろう。 フジテレビ以外のテレビ局を見ていて、どの局でも、異常なほどキム・ヨナを賞賛するビデオが流れることがあった。 これは多くの人が気づいたことだろう。 (どの局のビデオにも、キム・ヨナのCM契約数がいかに多いかという内容が含まれていた。 スポーツ選手を取り上げるビデオで、そろってCM契約数に言及するとは? CM契約数とそのスポーツ選手の実力に、何の関係があるのだろうか?) フジテレビは、キム・ヨナをageるだけではなく、浅田選手をsageるという行為を、魂の深い部分で一般の視聴者を切れさせるまで、行った。 異常なキム・ヨナage、浅田選手sageは、いったい何だったのだろうか? ネット上には、以前から、浅田選手がある広告代理店からのマネジメントのオファーを断り、IMGという会社と契約したために、断られた広告代理店(もちろん日本の)に嫌がらせをされているという話があった。 ちなみにその広告代理店は、日本でのキム・ヨナの売り出しに、事実上大失敗したのではないだろうか(笑)。 まあ、ネット上の噂なので、事の真偽は分からない。 井戸端会議レベルの噂である。 テレビ局の中の人なら、真相を当然知っていると思うのだが、なにか言えない事情があるのだろうか?    

テレビがひどいことになっている

もろもろ準備のために、このところこのブログを更新できていなかったのだが、あまりにテレビがひどいことになっているようなので、メモってみる。 「日テレ系列の福岡放送がTwitterで韓流批判をした高岡蒼甫を『人種差別主義者』と痛烈に批判」(痛いニュース) 高岡蒼甫(さん)という若手俳優は、宮崎おあい(さん)の夫で、韓流ばかり放送するフジテレビをTwitterで批判したことで、事務所を辞めることになったらしい。 その高岡さんをいくつかの地方テレビ局がたたいているようだ。 「韓流を批判したらこういうことになるぞ」という芸能人に対する脅し(見せしめ)のように見えなくもない。 これはどこからお金が出ているのだろうか? ・・・・・・ それにしても、「人種差別主義者」はないだろう。 「ある意味、人種差別主義者というレッテルを貼られる。 イメージが悪いから復帰は無理」という発言らしいが、この発言自体に、テレビを通じて「人種差別主義者」というレッテルを貼ろうとする意図が見え見えであり、この発言をした人間のイメージがありえないほど悪い。 この発言をした人間は、バカなのか。 実際のところバカそのものだったのか、 それとも広告代理店からそういう言葉を使うように指示があったのか? BPOにきちんと調べてほしいところだ。

保護中: 妊娠している女性はレントゲンもCTスキャンもダメ

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証拠改竄より証拠ねつ造の方が簡単だ

昨日、押尾裁判に関して検察を批判するメモを書いたばかりだが、今日、郵便不正事件の大阪地検主任検事が証拠を改竄したとして逮捕された。 昨日は「意図的でないなら無能、意図的なら悪質」と厳しい言葉を使いながらも、それなりに検察に対して気を使ってみたのだが、気を使った分、今日となってはなんだか間抜けな印象の文になってしまった。 これは検察だけのことではないが、証拠を改竄するよりねつ造する方が、はるかに簡単だろうと思う。 たとえば現場で指揮する人間が、狂信的な政治団体等のような何らかの集団・グループを利用すれば、証拠はわりと簡単にねつ造できるだろう。 大阪地検の主任検事が逮捕されたように、これはむろん完全な犯罪である。 また、この人間に協力して何らかの行動をとった人間は、完全な犯罪者である。 この手のトリックは当事者には完全犯罪のように見えるだろうが、実のとろこ必ずいろいろなところで情報が漏れてしまっているものだ。 こういう話はあまりにも単純すぎて、小説やドラマとしては面白くないかもしれない。 しかしもし現実にこういうことがあるなら(あるいは、昔からあるのかもしれない)、それは個人の資質の問題というより、組織全体の問題になってくるだろう。

腐った組織2

昔(2008年1月)書いた「腐った組織」というエントリーがなぜかこのブログの「人気の記事」のトップにきていた。 せっかくなので続きを書く。 ある組織の闇や不正は、当然だが、その組織を要素として包含する別の組織の掟によって断罪される。 ここでいう別の組織とは、たとえば国家だ。 これはどうしようもないことだ。 組織の中の人間が、その組織の闇や不正を認知した段階で、もしそれをあえて見逃したということになれば、かわいそうだがその人間も同罪である。 もちろん、組織の闇や不正が、その組織の中だけで厳格にコントロールできる状態であれば、問題ない。 多くの場合、闇や不正にかかわる上司は、そのつもりだろう。 だが、闇や不正の全体像(というか、その事実そのもの)を知らない現場の人間は、えてして上司の命令に背いた行動をとるものだ。 彼は組織のために上司のためにと、あるいは自分の出世欲から、点を稼くための行動をする。 その行動は、組織的観点からいずれ評価されるだろうと彼はふんでいるいわけだが、国家的観点からは、結果として実はとんでもないことだったりする。 こういった行動を、闇や不正にかかわる上司は、把握できない。 この上司が把握できなければ、この上司の上司(闇や不正にはかかわっていない人物)も、当然把握できない。 そのことによって、ある組織の闇や不正が、気づいたらとうていコントロールできない状態になっていた、ということは、よくある話だ。 いきおいで「よくある話だ」と書いてしまったが、こういったことは、実は日常の一風景なのかもしれない。 ・・・ ・・・ ・・・ と書いたあと気づいたのだが、この話は以前にもどこかで書いたことがあったかもしれない。

「日本の産業を巡る現状と課題」by経済産業省

最近ちまたで話題になっている経済産業省作成の資料がこちらのブログで紹介されていた。 経済学101「日本経済の現状」 元の資料はこちら↓ 「日本の産業を巡る現状と課題」(経済産業省)(PDF) こういった数字を見ると、ちょっと悲しくなってしまう。 「いつのまに・・・」 というのが、多くの人の感想ではないだろうか。 つくづく、日本はこれからどうするんだろう?、と思う。 (どうなるんだろう?、ではなくて。)

情報公開がブランディングの基礎になる

辺境のブログでわざわざこんなことをつぶやくのも少し気が引けるのだが、 これからは情報公開がブランディングの基礎・土台になると思う。 情報公開とは、むろん、情報公開を装った(あるいは情報公開の名を騙った)広告・宣伝・情報操作のことではない。 情報を広く伝えるメディアが限定されており、コントロールが可能だったことにより、これまで機能していた「情報公開を装った広告・宣伝・情報操作」は、これからは逆にブランドや権威の失墜を引き寄せることになるだろう。 なぜなら「情報公開を装った広告・宣伝・情報操作」ほど、現代の消費者が忌み嫌うものはないからだ。

続続・鹿児島県警「内部調査公文書なし」:はあ?

昨日の記事を書いて思った。 誰かが記録に残せないことをしていたり、自分の行動や身元を記録されることを嫌がったり、自分の身元をはっきりと名乗らなかったりする場合、たとえその人間が権威ある組織に属しているとしても、その人間は犯罪にかかわっている(もしくは、よほど悪事をなしている、あるいは自らの大失態を必死になって隠蔽しようとしている)可能性が高い、のではないか。 とりあえず、相手の身元と発言を記録し(場合によっては録音し)、相手が属していると言っている組織に確認をとり、同時に写真を撮っておくことが大切だろう。 相手が正しく身元を名乗っている場合でも、相手が、組織の権威を個人的に利用して悪事を働いている場合などがありうるので、記録しておく必要がある。 もし相手がこれを嫌がったら、正真正銘、あやしい。

続・任天堂という資本の自己増殖運動

最近の株式市場の下落で、任天堂の株価が61,000円まで下落している。 11月1日には、10年来高値である73,200円をつけていたのだが。 それにしても。 以前「任天堂という資本の自己増殖運動」というエントリーを書いたときには、任天堂の株価は29,000円だった。 1月10日のことだ。 それがあれよあれよという間に(古いなこの言い方)上がって、73,200円に達していたわけだ。 「任天堂という資本の自己増殖運動」で取り上げたが、任天堂の売買単位は100株。 株価が61,000円の場合、6,100,000(6百10万)円ないと買えない。 お金持ちでない人間は、一生懸命働いたお金でゲームを買って、それでおしまいである。 お金持ちである人間は、もともとあったお金でゲームを買って、その上株を買って、うはうは(これも古いな)である。 もし任天堂の株が1株単位で買えていれば、お金持ちでない人間も株を買って、ゲームソフト代くらいは儲かっていただろう。 というか、Wii代くらいは儲かっていたはずだから、実質ただでゲーム機を手に入れられたことになる。 という構図の社会であり株式市場なのだが、これでいいのだろうか、と思ったり。 まあ、多くの人が何の文句もなく生きているわけだから、だぶんこのままでいいのだろう。 株式市場がどうとかとやかく言うより、明日上がる株の銘柄を考えろ、ということかもしれない。 といっても、株取引は現在やっていないのだが。

「結局は利益至上主義を罰したかっただけでは?」

ネットのいいところは、あるひとつの出来事について、様々な意見を知ることができるところだ。 村上裁判:結局は利益至上主義を罰したかっただけでは? こういう意見は、テレビや新聞からはまったく聞こえてこない。 上記のブログを書いている専門家の人だけでなく、現場で働いている人の中にも、同様の感想を持っている人は結構多いと思うのだけど。 上記のブログでも書かれていたが、村上裁判やライブドアの裁判で一番不思議なのは、裁判官がなぜあれほど宮内氏の証言を信用し重視するのか、ということだ。 裁判官もよくテレビを見ているのだろうか? ライブドア事件の一時期、テレビから「宮内氏はいい人だ」的な洗脳情報が滝のように流れていたことがあったけれど、地検は、そこを抑えておかないと勝てないことが最初から分かっていたのだろう。 (地検の品格を貶める恥ずかしい手法ではあったが、効果はあった)。 そう言えば、週刊誌でさえも、どういうわけか宮内氏の悪口はあまり書いていなかった。 書こうと思ってネタを集めれば、いくらでも集められたと思うのだが。 まあ、こういうことが通用する時代も、そろそろあれかな、と思ったり。

仕事の中で身についた「思考パターン」を変えるのは難しい

こんなニュースがあった。 “TBSまた不祥事 2ちゃん映像「捏造」” くだんの「掲示板」は、ディレクターが「インターネット上の掲示板のイメージを作成したもの」(いわゆる「イメージ映像」)だったらしい。 こういう「イメージ映像」はたぶんテレビの最も得意とすることのひとつだろう。 やらせで番組がつぶれたこともあるワイドショーなどでは、かなり気をつかっているようで、きちんと「再現映像」などの字幕が出る。 TBSの説明によれば、今回はディレクターが字幕を入れ忘れただけ、ということだ。 しかし、「あるある」事件やそれに続くTBSの健康番組での過剰演出事件の後のこの時期に、こういうミス(?)を犯してしまう、というのが、いかにもテレビらしい。 つくづく、これまで「わが世の春」を謳歌してきたんだなー、と思ったり。 視聴者からみればれっきとした「やらせ」でも、テレビの作り手にしてみれば「演出」ということも、ままある。 TBSの風鈴事件などはそのいい例だ。 慣習的に通用していたことが、今通用しなくなってきている、ということを、現場の人たちは、案外意識できていないのかもしれない。 仕事の中で身についた「思考パターン」を変えるのは本当に難しい。 これはどの業界でも言えることだろう。 人間として成長した部分とその「思考パターン」が不可分にミックスしているからだ。 結果、仕事に熟練するために、慣習を慣習として、自発的にその正当性を問うことなく受け入れてしまった人間ほど、時代が変わったときの悲劇が、より悲劇的になってしまうのではないだろうか。

NHKがバカな視聴者のためにニュースで捏造? ・・・まさか。

今日日経平均が1万8000円を回復した。 NHKの9時のニュース(今放送中)を見ていたら、3人のエコノミストに今後の株価の動きの予想を聞いていた。 キャスターいわく。 「見方が分かれました」。 確かに、3人の予想は、「大きく上がる」、「ほんのちょっと上がる」、「下げる」、と見事に分かれていた。 さて。 この映像を流すのに、NHKはどういう取材の仕方をしたのだろう? 可能性は2つある。 (1)上記の3人に意見を聞きに行ったら、たまたま予想が3つに分かれた、という可能性。 もしそうなら、「分かれた」というキャスターのコメントは完全に正しい。 (2)そうではなくて、あらかじめリサーチをした上で(あるいは、事前の知識に基づいて)、意見が異なる専門家を選んで取材したということも考えられないわけではない。 なぜなら、それがマスコミの取材の慣習だからだ(おそらく)。 この場合、「分かれた」というキャスターのコメントは完全に誤りだ。 単に間違いであるどころか、視聴者に対して平然と嘘をついたことになる。 「分かれた」のではなく、「分かれるように取材した」のだから。 正しくは、「意見の異なる3人の専門家に話を聞きました」とコメントすべきだろう。 まあ、まじめなNHKのことだから、(2)ということはないのだろう。 たまたま3人の専門家に話を聞いたら、たまたま意見がきれいに3つに分かれただけなのだろう。 いくらなんでも、(2)の取材で「分かれた」というコメントは視聴者をバカにしすぎだし。 しかし、もし仮に(2)だったとしたら・・・。 (もちろん「善意」でだが。ただし、幼い「善意」。このブログの用語で言えば、「空想共同体的正義感」)。 テレビの現場の人たちが、哀れなほど世の中(視聴者)が見えなくなっている、ということだろうか。 追記: マスコミを話題にするのにちょっと飽きてきた今日このごろ。

新春放言: 正義を行使する人たちはどの程度バカなのか?

以前は新年になるとよく、政治評論家や文化人などが政治・経済や社会現象などについて、お酒を飲みながらくつろいで語り合う「新春放談」みたいなテレビ番組があった(最近はどうなのだろう?)。 そこで、このブログでも、「新春放談」をまねて「新春放言」をしてみたいと思う。 テーマは、正義を行使する人たちの人間観的限界について。 (まさに、放言だ)。 一般に正義を行使する人たち(検察等)は、ものすごく頭がいいとされている。

今年(2006年)は新聞が1紙消えた年

12月31日ということなので、世の中の1年を振り返ってみた。 で、ひとつ書いておきたいのは、今年は新聞が1紙消滅した年だったということだ。 (以下はあくまでも個人的な意見)。 このニュースを読んで、新聞に対する見方にコペルニクス的転回が起きた。 新聞が平気で嘘を報道するとは・・・。 私怨があることは分かる。 あの出来事を個人的にはただ面白がって眺めていたのだけど、グループに属する新聞社としては腹が立ってしかたなかったのかもしれない。 だからなのだろうか? 私怨があるのだから、嘘報道をしてもいいと思ったのだろうか?

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